長谷川流和術 第十七代宗家 桑原 巡(先祖伝来の裃を着用)
長谷川流和術の流祖は、長谷川主税佐尉英信である。
長谷川英信は江戸時代初期の人で信州松代藩に逗留、その後江戸に出て修練を重ね一流を創始。
その流儀は松代藩はもとより関東および西国にも伝播し隆盛を極めた武術である。
二代、荒井兵作尉正継も松代より江戸に出て修行に励み印可を授かる優れた武芸者であった。
松代藩士の桑原源七は宝永三年、小山半左衛門尉幸次より長谷川流和術の免許皆伝を受け家伝兵法として相伝してきた。
桑原源七が受け継いだ技は、戦国期の実戦的な組討の中から編み出された和術の神髄で師匠の小山半左衛門は荒井兵作の門人の中でも高弟と言われている。
八代、桑原源三郎重教は明和三年、大矢彌五兵衛尉重堅より無雙直傳流の免許皆伝も受けた。
江戸初期に創始された和術の精粋であることから、無雙直傳長谷川流和、無雙直傳流和
無双流和、源海流和など多くの支流が派生した。
「流儀の特徴」
当流は、「和」の字を用いているのには、それ相応の理念がある。
力に対抗するのではなく、和らかく相手の力を有利に働かせ勝利を得る。
戦いで腕を折られたり間接を外され戦意を失った者に止めを刺す必要はない。
悲惨な戦乱の時代を生き抜いた流祖は、戦いを好まず平和に治める事を理念とし
生かして捕える事を最良とした。
「表」「立捕」「小具足」「後捕」「保具連」「大小詰」
など89本の技が伝承されている。
「流祖、長谷川英信について」
長谷川英信と言えば、居合術を伝えた武芸者という印象が強い。
しかし信州を中心に古くから和術を伝えていた事実を著名な古武道研究家が
論文を発表している。
武芸百般の達人と称された流祖は、和術の大成者でもあった。
「北信濃における無雙直傳流の伝承について・スポーツ史研究」
「信州伝長谷川流和術からの考察・月刊武道」
※第4代宗家、桑原源七尉幸貞の直系子孫である桑原巡宗家は
流儀発祥の地である長野市(旧松代藩)から居を埼玉県に移し
長谷川流の精妙な技と精神文化を伝承している。
※桑原巡 宗家は、郷土史研究家として執筆活動をしています。
※所属団体 日本古武道協会 正会員として日本武道館・厳島神社・鹿島神宮などで
古武道の演武を行っている。
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